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岸波 (駆逐艦) : ミニ英和和英辞書
岸波 (駆逐艦)[きしなみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きし]
 【名詞】 1. bank 2. coast 3. shore 
: [なみ]
 【名詞】 1. wave 
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 

岸波 (駆逐艦) : ウィキペディア日本語版
岸波 (駆逐艦)[きしなみ]


岸波(きしなみ)は、日本海軍駆逐艦夕雲型の15番艦である。
== 艦歴 ==
1942年度(マル急計画)仮称第343号艦として浦賀船渠で建造。1943年(昭和18年)12月3日に竣工して一等駆逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となる。
竣工後、訓練部隊の第十一水雷戦隊(小川莚喜大佐海軍兵学校46期〔司令官代理。『第十一水雷戦隊戦時日誌』pp.7〕)に編入。瀬戸内海に回航され訓練を受けた後、1944年(昭和19年)2月10日に第二水雷戦隊早川幹夫少将・海兵44期)第三十一駆逐隊に編入された。
2月26日、朝霜沖波とともに宇品を出港し、グアムへ移動する第29師団の陸軍兵士〔このうちの一人が横井庄一〕と装備品を乗せた安芸丸(日本郵船、11,409トン)、東山丸(大阪商船、8,666トン)、崎戸丸(日本郵船、9,247トン)の3隻の優秀貨客船による『松輸送』に従事する。船団は2月29日にアメリカ潜水艦トラウト (''USS Trout, SS-202'') の攻撃を受けて崎戸丸が沈没したが、朝霜の爆雷攻撃によりトラウトを撃沈した。船団はサイパン島に立ち寄った後、グアムに進出した。
3月20日、トラック諸島行きの東松三号特別船団の護衛で館山を出航し、サイパン島まで護衛を行う。その後、リンガ泊地に進出。5月14日からは前進根拠地のタウイタウイ方面で対潜警戒に従事。6月19日のマリアナ沖海戦では丙部隊(第三航空戦隊、戦艦大和武蔵など。栗田健男中将・海兵38期)に属した。海戦後、6月22日に中城湾に立ち寄った後〔木俣『日本戦艦戦史』401ページ〕、6月24日に柱島泊地に帰投した〔木俣『日本戦艦戦史』402ページ〕。7月9日、朝霜、沖波と第四戦隊をリンガ泊地まで護衛するため臼杵湾を出撃し、昭南を経て7月19日に到着〔『軍艦高雄戦時日誌』pp.45,47〕。訓練に励んだ。
10月18日、捷一号作戦発動に伴って栗田中将の第二艦隊はリンガ泊地から出動し、で補給の後、10月22日に出撃した。だが、翌10月23日未明にパラワン水道において第二艦隊旗艦愛宕がアメリカの潜水艦ダーター (''USS Darter, SS-227'') の、僚艦摩耶デイス (''USS Dace, SS-247'') の雷撃でそれぞれ沈没し、高雄がダーターの雷撃で大破して戦線離脱した。岸波は愛宕の乗員と栗田中将以下第二艦隊司令部幕僚を合わせて221名を救助し〔木俣『日本水雷戦史』508ページ〕、臨時の第二艦隊旗艦となった。御真影も岸波に移った〔『戦闘詳報並ニ戦訓所見』pp.4〕。同日午後、岸波は時化の中を大和に接舷して栗田中将以下第二艦隊司令部幕僚を移乗させた〔木俣『日本戦艦戦史』440ページ〕。10月24日から26日のレイテ沖海戦では浜波とともに第二水雷戦隊旗艦の軽巡洋艦能代の警戒にあたった〔木俣『日本水雷戦史』529ページ〕。海戦後はコロン島で補給の後、ブルネイ湾に帰投した〔木俣『日本水雷戦史』530ページ〕。岸波はレイテ沖海戦で損傷した重巡洋艦妙高の護衛を長波から受け継ぎ、11月1日に昭南に入港した。
11月26日、岸波は敷設艇由利島第17号海防艦とともに特設給油船八紘丸(日本油槽船、10,022トン)を護衛して昭南を出港し、12月1日にマニラに入港した。燃料の荷揚げを済ませた後、往路と同じ顔ぶれで12月3日10時にマニラを出港して昭南に向かった。しかし翌12月4日10時30分、〔『第二水雷戦隊戦時日誌』C08030102400, pp.10〕のパラワン島北西海域にさしかかったところでアメリカの潜水艦フラッシャー (''USS Flasher, SS-249'') の攻撃に遭った。フラッシャーは八紘丸船団の存在を、近在の僚艦ホークビル (''USS Hawkbill, SS-366'') からの報告により知り、船団の前方に出て待ち伏せを行っていた所であった〔「SS-249, USS FLASHER」p.170〕。フラッシャーは朝潮型駆逐艦と目された〔「SS-249, USS FLASHER」p.170,188〕岸波に対して魚雷を4本発射し、2本を命中させた。岸波は航行不能に陥り〔木俣『日本水雷戦史』584ページ〕、「朝潮型駆逐艦」を撃沈と推定したフラッシャーは、艦尾発射管から八紘丸に向けて魚雷を4本発射。2本が命中して八紘丸も航行不能になった〔「SS-249, USS FLASHER」p.189〕。やがて爆雷攻撃が始まったので、フラッシャーは攻撃を避けるため深深度に潜航して魚雷の装てんを行い〔「SS-249, USS FLASHER」p.171〕、約1時間後に潜望鏡深度に戻って三度目の攻撃の態勢に入った。その間、岸波は由利島に曳航されようとしていた。14時2分、フラッシャーは大雨の中を岸波と八紘丸に向けて魚雷を4本発射〔「SS-249, USS FLASHER」p.190〕、岸波は魚雷が2本命中して沈没した。駆逐艦長三舩中佐以下90名が戦死し、残る150名は由利島に救助された。この後、フラッシャーは辛うじて浮いていた八紘丸に止めの魚雷を命中させて撃沈した〔「SS-249, USS FLASHER」p.191〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岸波 (駆逐艦)」の詳細全文を読む




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